PAGE [24]
高校時代〜伝わること〜
直井 「すっごいさりげない感じだったよね。でも初めて……日本語で」
藤原 「うん。日本語で作ったってとこには、大きな意味があったと思う。絶対あったと思う。なんで日本語で書こうと思ったかはよくわかんない……たぶん某音楽レーベルのひとに言われたこともきっかけになっただろうし。……キーワードがいくつもあるじゃん、あの曲には。そのキーワードっていうのが、既に息づいていたから。『詞を書きたいんだ』って意識があったんだと思う。英語でやってた時なんて、ほんとにノリだったから。なんとなーくのストーリー、大まかなテーマみたいなのはあったりしたけど。でも大したことないもんで。『俺は怒ってる』的な感じとか『俺は楽しい』的な感じとか、その程度のもんで。まあ今思うとそれはそれでいいなと思うけど(笑)。なんつーんだろ…………曲が出来て、3人に聴いてもらったら反応が違ったんだよね。『いい曲だね』っていう言葉が……『いいねこの曲、楽しいじゃん、カッコいいじゃん』っていうのではなくて、単純に『いい曲だね』っていう感想があって。『いい曲だね』って言った後に、ちょっと沈黙を挟んで『ああ、いい曲だ』って言うような感じ(笑)。そういう扉を開けることが出来たのかもしれない。きっとそういう曲だったんだと思う。……いつもたまってる喫茶店があったんだ。その喫茶店でも何行か”ガラスのブルース”の詞を書いたりしたんだけど。……そう、4人でデモテープを作ったの、4トラックのMTRで。最悪な音だったんだけど(笑)、いつも俺、それウォークマンに入れて聴いてて。で、ひとりでその喫茶店にいて、なんかボケッと本とか読んでたら、学校終わったちょっと悪い奴らがその喫茶店に来て。それで『何聴いてんの』って話になって、『いや、こないだ曲が出来て、それ聴いてんだよ』って言ったら『ちょっと聴かせてよ』みたいになって。正直ちょっとね、恥ずかしいなってのがあったの。その当時はメロコアが全盛期で、みんなオフスプリングとか聴いててさ。スケーターって文化が来日した頃で、腰履ばきしてるような奴らばっかで。みんな全然いい奴らだったんだけど。だから、要は……”ガラスのブルース”って結構ポップな部類に入ると思うんだ、ジャンル分けをしたら。だから受け入れてもらえんのかなっていう。でも『聴かせてよ』って言われて『別にいいよ聴かなくて』って言うのもなんだしなみたいな(笑)。でも結構俺ん中で、そこで聴かせることが出来たってことはすごい重要だった。聴いてもらって、『すごくいい』って言ってくれたの。『こんなこと考えてんだね、すごい鳥肌立った』的なことを言ってもらえて。『学校辞めた後はどうなることかと思ってたけど、こういうことやってたんだね、安心した』みたいなこと言われたりして。あれはすごいデカかったと思う。メンバーがいいって言ってくれたのは、象徴的に今のバンプ・オブ・チキンに繋がってると思うんだけど、そのバンプ・オブ・チキンが、今メジャーに上がってるひとつの理由として----ただの音楽好きがメジャーに上がってるひとつの理由として、あの瞬間があったと思う。すごい快感だった。伝わることって快感なんだなって。『ああ、俺こういう気持ちあったんだけど上手く言葉に出来なかったんだけど、そうだよこういうふうなことなんだよ』みたいなことを言ってる不良がいたりして。すげー嬉しかった。だから歌が伝わったっていうさ。……”ガラスのブルース”が出来た時に、アレンジや文化を超えて、単純に『歌』だと思ったの。ほんと、アレンジや文化や時代じゃなくって歌が伝わったっていうのがすっごい嬉しくって」
増川 「俺は、最初聴いた時は、ほんとに単純に『わかった』っていう感じ」
藤原 「そうだ、初めて聴かせたのが増川だったんだ。ギターで弾いて聴かせたんだっけ?」
増川 「そう。なんか紙に書いてあったのを見ながら俺は聴いた、たしか。わかるじゃん、日本語だから。それがすごいことだなって。すごいなっていうか……それは初めてだったし」
藤原 「ビックリしたよね」
増川 「ビックリしたね」
藤原 「わかるって言われたことも、俺はわかってもらえたってことも、ビックリしたな。なんか新世界だった」
増川 「もちろん、すごくいいなと思って、『すごくいい』って言って(笑)」
藤原 「ふふふ」
「なんか周りの反応ってのが全然違った。俺らは別に新しい曲のひとつって感じでやってんだけど、ほんとに周りのひとが、『今やったのもう一回聴かせてよ』みたいになって。だから、聴いてるひとにも伝わってるっていうのがすごいことだなって思った」
藤原 「ある種の違和感すらあったな」

< prev / next >